男を上げる研究所

「男を上げる」というキーワードを研究対象とし、「理想の男」を目指して未来を拓く事を目的とした研究所

小室哲哉は僕の青春そのものだった~TK100曲CD発売決定記念

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こんにちは。カズヤです。

 

日本の天才的音楽プロデューサー、小室哲哉氏の今までの楽曲のベストアルバムが近日リリースされる事がネットのニュースで流れたのを見た。

 

小室哲哉、過去作100曲収録した作品集『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』発売(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

 
注意深く見てみると、テレビやネットでもこのニュースについて皆が話題にしている。
 
小室哲哉の引退のきっかけとなったニュース
 

 

小室ファミリーが全盛期を迎えていたのは、1990〜2005年くらいだと思う。
 
ちょうど僕が高校ー大学に通っている時期だ。
 
この頃はインターネットもまだ全然繁栄しておらず、情報はもっぱらテレビと紙雑誌だった。
 
特に1990〜2000年は、小室哲哉と彼がプロデュースしているアーティストをメディアで見ない日はなかった。
 
渋谷を歩けば、驚く程どのお店(飲食、カラオケ、ゲーセン、飲み屋、小売店)も小室哲哉の楽曲を流していた。
 
まるで戦時中のプロパガンダ放送のようだ。そりゃ洗脳される。
 
でもなぜかどこにいても小室哲哉氏の楽曲が耳に入ってくるので、どこか心地いい感覚だったのを今でも覚えている。
 
これが洗脳状態なんだろう。
 
小室哲哉氏が栄華を誇る時代の少し前、僕は思春期真っ只中だった。
 
今でこそみんながスマホでインターネットを当然のように使って生活をより良いものにしているけど、僕が10代の時にはそんなものはなかった。
 
その分、今の若者が想像できないくらい時代の波にもまれ、そしてもがいたものだった。
 
今日は、小室哲哉氏の楽曲を聴くと思い出す懐かしいものを勝手に書いていく回にしようと思う。
 
僕が高校生くらいから大学、そして社会に出るまでのデジタルガジェットや文化の移り変わりを僕なりの視点でざっくり振り返ってみようと思う。
 
少しでも懐かしんでくれる人がいれば幸いだ。
 

 

 

目次

1、ポケベル

2、偽造テレホンカード

3、チーマー

4、携帯電話・PHS

5、プリクラ

6、アムラー・コギャル・ルーズソックス

7、インターネット

8、まとめ

 

1、ポケベル

 
名刺サイズくらいの連絡用機器。無線呼び出しというらしい。
 

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はじめの方は数字しか小窓に表示されないほど簡単なものだった。
 
当時のビジネスマンは、電話をかけてほしい番号をポケベルに表示させて互いに連絡を取っていた。
 
当時はまだ携帯電話なんて一部の人しか持っていなかったので、公衆電話の前には常に列ができていたものだ。
 
ちなみに
 
724106 → なにしてる?
114106 → あいしてる
0833 → おやすみ
 
 
など、当時ポケベルを持ち始めた僕らは、まるで暗号のような数字のみの羅列で友人同士で連絡をとっていた。
 
今考えれば凄い想像力だったよなと感心するね。
 
あとは、駅の伝言板
 
ポケベルを持たない、いや、持てない学生同士の恋人たちは、駅にある伝言板にチョークでメッセージを書いて意思疎通を図っていたものだ。あぁ、懐かしい。

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(漫画シティーハンターでは、駅の伝言板に「XYZ」と書くと、主人公である冴羽獠と連絡が取れるという設定だった。これを真似して、当時のどこの駅の掲示板にもほぼ必ずこのXYZと書いてあった)
 

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その後、文字が画面表示されるタイプのポケベルがリリースされ、今で言うメールのようなやりとりができるようになった。
 
ちなみに当時の僕の初代ポケベルはマンボウ、2代目はテルソナだった。
 

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 テルソナ

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 あー、懐かしい。
 

2、偽造テレホンカード

 
当時ポケベルが流通してくるにつれて、公衆電話でテレホンカードを使う機会が急増した。
 

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だが、当時の高校生の僕らにとって、1枚500円のテレホンカードを買う事はかなり痛い出費だった。
 
そこで利用していたのが、渋谷や新宿、上野にいるイラン人が売っている偽造テレホンカード。

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確か500円分を50円とか100円とかで販売していたと思う。
 
当時は中東の国イランのおじさんたちが、どうして渋谷や新宿で偽造テレカを売っていたのかなんて考えもしなかった。
 
が、今思えばこういった流れがあったのだと知るとなかなか感慨深い。
 
日本とイランは1974年ビザ相互免除協定を締結しており、日本への出入国に際してビザがいらなかった。日本の良好な経済状態についての話が広まり、ビザ相互免除協定を利用して日本へ渡航し、職を見つけ居住するイラン人が増加していった。バブル崩壊後の1990年以降でさえイランと比較して高かった日本の賃金水準、そして比較的取り締まりの緩い出入国管理政策がイラン人を引きつけたのである
 
また、その他のイラン人の大量流入の原因はこんな感じなんだったと思う。
 
・日本イラン間の国際電話の需要の急増
・当時のテレホンカードの偽造が容易で、反社会勢力の資金源となっていた?
(パチンコ店のCRカードやオレンジカードも偽造されていた)
不法就労のイラン人に大量に偽造テレカを流し、仕事にあぶれたイラン人がそれを一般客に販売していた
 
今はみんなスマホやケータイを持っているので、テレホンカードを持つ必要など無くなってしまったね。
 
公衆電話の使い方も分からない人も多くなってると思う。
 
110番や119番の掛け方くらいは覚えておいても損は無いよ。
 
 
あー、懐かしい。
 

3、チーマー

 
僕が高校生くらいから、渋谷や新宿、横浜などの駅ごと、地域ごとにチームを組んだ不良軍団が現れ始めた。
 
特攻服を着ていわゆる改造バイクに乗る暴走族とは違い、1980年代後半から1990年代前半頃に、東京の渋谷で中学生や高校生の不良少年少女達が、アメリカ映画『ウォリアーズ』『アウトサイダー』などに影響されて、ストリートギャングを模倣したグループを作った事が発端となっている。
 
 

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当時の渋谷はこのチーマーが現れだしてからはかなり殺気立っていた。
 
「友達の友達がチーマーだ」
「パー券(パーティ券)を校内でさばいてるやつがいる」
「チーマーのボスと学校の可愛い子が付き合ってる」
 
などと、チーマーに関する噂話に関しては事を欠かなかった。
 
その頃は木村拓哉がチーマー風の格好でドラマ(若者のすべて)に出演しており、綺麗な長髪に男たちはみな魅了されてたなあ。

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主題歌はミスチルの「Tomorrow never knows」。
 
この曲はいつまでたっても当時の情景を思い出させてくれる至極の一曲。
 
聞くだけで涙ぐんでしまうのは僕だけではないだろう。あー、懐かしい。
 
とにかくこの時のキムタクは息を飲むほどかっこよかった。テレビを食い入るように観ていた。どうすればこんなカッコよくなれるのかと真剣に悩んだぐらいだ。

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渋谷センター街で石を投げればキムタク風ロン毛の男に当たると言われるくらい、爆速でロン毛が流行ったのもこの時期だった。

 
校則が厳しい学校にいた当時の僕も、なんとか長髪を後ろに束ねたキムタクヘアーの真似をしたいと思い、後ろ髪だけをヘアゴムで結んでみた。
 
気分はあのキムタクだ。
 
ところが、その僕のへスタイルを見た友達から一言。
 
志村けんじゃん、それ笑」
 

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とまあ、大笑いされたのも今となってはいい思い出だ。
 
あー、懐かしい。
 

4、携帯電話、PHS

 
ポケベルの次に流行りだしたのが、まずはPHS

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携帯電話よりも値段が安いため、流行に敏感な若者はこぞってPHSを持ち始めた。
 
PHSは携帯のように電波を受信するのではなく、アンテナが設置してある範囲内で通信ができる機器。
 
「値段も安いし、これからアンテナ設置数はどんどん増えていきますよ」
 
PHS販売担当者の殺し文句だったな。
 
でも、実際にはアンテナ設置スピードよりも、携帯の普及のスピードの方が早く、すぐに人々は携帯を買うようになり、PHSは鳴りを潜めていった。
 
で、いよいよ携帯電話の時代に突入することになる。
 

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着メロ、マナーモード、メール機能、留守番電話機能、キャッチホン機能とどんどん新しい機能が追加されていった。
 
その度に当時の僕はワクワクしたものだった。
 
機種変更をするたびに新しい機能が付属してきて、まるで自分が賢くなったような気にさせてくれたのが当時の技術革新の速さだったな。
 
ちなみに1990年後半は、携帯派が80%、そしてPHS派が15%、ポケベル派が5%くらいの割合だったかな。
 
金がないと言ってた金欠学生は、携帯を持たずに月々の料金が安いPHSかポケベルで連絡を取っていたんだ。
 
僕は携帯を持っていたけど、金欠のとある友達はポケベル派で、彼女と電話したいからいつも僕に100円払って携帯を借りてたっけ。
 
100円は通話代ね。
 
今じゃ考えられないけど、それが当たり前の光景だったこらなんとも思わなかったな。
 
あー、懐かしい。
 

5、プリクラ

 
今でこそプリクラ市場は200億円規模だと言われているが、全盛期は1,000億円レベルの規模を誇った巨大マーケット。
 
読モの女の子をイメージキャラにして、いろんな加工ができる高機能のプリクラ機が当たり前になった。
 

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ノンスタイル井上バージョン)
 
でも当時はまだ加工できない普通の写真をシールにできるのみだった。
 
それでも、当時の流行りとして、付き合ったカップルの記念としてプリクラを撮り、それをケータイのバッテリーの裏に貼ったり、ライターに貼ったりして友人同士で見せびらかしたりしていた。
 
なにぶん画素が粗い時代なので、友人の彼女の顔をプリクラ経由で確認しても、全然可愛いからどうか判断できなかった笑。
 
まぁ、それを友人同士でワイワイ話すのが至極の幸せだったんだけどね。
 
プリクラが普及する前は、スピード証明写真でカップルや友達同士で写真を撮っていたこともあったな。こういう人は僕だけじゃないはずだ。

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スピード証明写真機を遊びで使っているという、なんとも言えない罪悪感が当時の僕らには刺激的だった。大人に怒られやしないかビクビクしていたのも今ではいい思い出だ。
 
あー、懐かしい。
 

6、アムラー、コギャル、ルーズソックス

 
小室哲哉プロデュースで、安室奈美恵のまさに絶頂期だったこの時代。
 

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安室ちゃんの髪型やメイク、ファッションを真似た通称「アムラー」が街に溢れた。
 
でも、これがめちゃくちゃ可愛いかったんだ。

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(当時の僕からしたら、上記の女子はみんな超美人)

 

当時の非モテだった僕は、アムラーを見つけては果敢に声をかけるも撃沈の連続だった。
 
アムラーたちが好きな男性像は、「危険な匂いのするチーマー風の男」だったからね。
 
服や話し方のコツ、ましてや恋愛工学がまだ生まれていなかったその当時。
 
そこまで異性ウケについて研究していなかった僕は、後にも先にもアムラー風の女の子と付き合うことはできなかった。。。
 
これは人生の後悔ランキングトップ3に入る。
 
ドラえもんがいたら、タイムマシンで「アムラーがたくさんいる時代」へ戻してくれと確実に嘆願するだろう。
 
アムラーたちは、普段は高校生くらいの子がメインだったので、学校帰りの制服を着ている時などはルーズソックスを履いていた。
 
またね、これが可愛かった。
 
今のようなストレートのハイソックスを履く女の子なんて当時は眼中なかった。
 
とにかく、ルーズソックスを履いていれば誰でもいい、って感じだった。
 
ルーズソックスを履いている女子高生に価値があったんだ。
 

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その人気にあやかって、高校卒業後も年齢を偽って、女子校の制服を着て渋谷をナンパ目的で歩くアラツー女子もたくさんいたっけ。時代だね。
 
当時の女子高校生のヒエラルキーは、イケてるグループの女子はみんなルーズソックスにアムラーメイク、渋谷の悪そな奴は大体友達、みたいな感じ。
 
そこに属さない女子は、控えめのルーズソックスに控えめメイク、髪も黒髪ストレートという感じだった。当時の女子もなかなか大変だったと思う。
 
また、アムラーとは別の流派として、コギャルも大流行していた。
 

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ガングロメイクにチェックのスカート、ルーズソックスが目印だったね。
 
当時のレンタルビデオショップには、コギャル風のAV女優が軒並みラインナップされていて、清楚系やアムラー系よりもかなり人気があったんだよ、僕を含め。
 
街にいるようなコギャルは怖そうで声かけができないので、仕方なくエロビデオで見て楽しむ。
 
悲しい非モテのサガは今も昔も変わらないってとこだろう。
 
あー、懐かしい。
 

7、インターネット

 
ウインドウズ98がリリースされた1998年。
 

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ここから一気にインターネット普及し、一家に一台パソコンが流通するようになったと僕は認識している。
 
当時はネット通信はダイヤル回線で、通信速度が今と比べてめちゃくちゃ遅かったし、通信費も高かった。
 
そんな中、僕のインターネットの思い出といえば、やはりエロ画像やエロ動画だろう。
 
当時のネットでエロ画像や動画を見ようとすると、通信速度が遅すぎて全部表示されるまでにはすでに愚息はフィニッシュしてしまっていることがよくあった。
 
「バッファ中にイッた」は、当時のネット経験者の合言葉だ笑。
 
また、エロ画像や動画は非常に重かったので、ダウンロードしている間に親や家族に見つかってしまう恐れも充分あった。
 
そのため、当時のぼくは通信速度が速くなる機器や裏技を探すのに苦労したものだった。
 
ある時、彼女もおらず溜まりに溜まった性欲を放出すべく、自宅で気に入ったエロ動画をダウンロードしようとした。
 
もちろん下半身は何も着けていない状態。
 
迫りくる性欲に、あまり画面の注意文を読まずに
 
OK OK OK

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とクリックしてしまった時があった。
 
後日、ある時母親がものすごい形相で電話料金請求書を片手にぼくの部屋へ怒鳴り込んで来た。
 
「あんた、電話代8万てどういうこと!?」
 
普段は1万円前後の固定電話代が8万!
 
「なんだそれ?」
 
一瞬考えたけど、当時家族でパソコンやネットを触っていたのは僕だけだったのですぐにその原因がわかった。
 
実はあの時のエロ動画の配信先が海外のものだったのだ。
 
当時には珍しく無修正ものだったので、オナニー欲が金銭感覚を完全に上回り、とにかく抜きたい一心でクリックしてしまったのだ。
 
アレは勃ったけど、後悔先に立たず。
 
北朝鮮の総書記並みに家庭内恐怖政治をしいていた父親にもバレ、こっぴどく殴られ叱られた。8万円分殴られた。
 
それでもうちの親も結構な情弱なので、ぼくがエロ動画をダウンロードしたかどうかなんてわからなかったのが唯一の救いだった。
 
「たまたま海外のサッカーの試合を動画で見ていたらいつのまにか課金されていた」
 
とシラを切り通し、なんとか
 
8万円の自慰行為をパソコン前で敢行するバカ息子
 
のレッテルは貼られずに済んだのは不幸中の幸いだ。
 
その後は通信速度もだんだんと速くなり、ダイヤル回線から光回線と移り変わり、現在に至る。
 
今の若者のオナニー環境なんて、当時に比べたら天国だよ。そりゃセックス不足や少子化にもなるわな。
 
あー、懐かしい。
 

8、まとめ

 
途中から小室哲哉の話はなくなってきてしまったが、まあご愛嬌だろう。
 
とりとめもない当時の自分の思い出を書きなぐってみたけど、書きながらも懐かしい情景を思い出してなかなかノスタルジックな気持ちになった。
 
アラフォー世代の人は共感する部分も多かったんじゃないかな。
 
小室哲哉氏の楽曲は、僕にとってのタイムマシンだ。
 
一度耳にすれば、当時に一瞬でタイムスリップすることができる。
 
ある意味小室哲哉氏は僕にとってのドラえもんなのかもしれないな。
 
今でこそ当たり前の情報環境だけど、その移り変わりのまさにど真ん中の時期を小室哲哉氏の楽曲と同時に体験できたのは非常にラッキーだと思う。
 
なぜなら、小室ファミリーの楽曲を聴けばその激動の時代が瞬時に思い出せるからね。
 
IT化がもたらした便利さで言えば、今の方が何倍も発達している。
 
でも、人間は与えられた環境に順応するのが得意な生き物。
 
当時は少しの変化(ケータイの普及、女性たちの美人化、ネット環境のアップデート)だけでも、ものすごい時代の進化を感じた。
 
「うおぉぉ、なにこれ。めちゃくちゃ便利じゃん!」
 
と友達と何回ハイタッチしたことか。
 
その感動は筆舌に尽くしがたいものでもあった。
 
また、改めて思うのは、自分のスケベ心が今も昔も変わらないということ。
 
僕のそれというのはどんなにツールが進化しようとも、強くなることはあっても弱くなることは無い。
 
これからも自分の中に在り続け、まるで宇宙のように膨張し続けるのだ。
 
そう思うと、男に生まれて、そして人一倍スケベに生まれたからこそ他の人より人生を楽しく生きられているのだなと少し嬉しく思う。
 
早速今回の小室哲哉氏のCDは購入しようと思う。発売は6月27日のようだね。
 
そして小室ファミリーの曲を聴いて当時の思い出に浸ろうか。
 
そして、酒でも飲みながら息子に昔話でもしようかと思ってる。
 
もちろん、8万円の自慰行為の部分は除いて、ね。
 
小室哲哉さん、今までお疲れ様でした。
 
そして素敵な思い出をありがとうございました。
 

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僕は今までもこれからもアナタのファンでありたいと思います。
 
おわり
 

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